こんにちは、あるいはこんばんは、「家事したくない」諸君。
『ない家事研究所』の Tanjism(タンジズム)だ。
「したくない」家事に時間を奪われない人生を送るためには、まず自分の「したくない」家事を知る必要がある。
今回は【洗濯】にまつわる家事について「したくない」理由を考えてみた。
諸君の中には「洗濯は好き」と言う人が結構いるかもしれない。
汚れが落ちてさっぱりした気持ちになったり、洗濯後のいい香りに癒されたりと、ポジティブな感情になるのかもしれない。
しかし、
「洗濯することは好き」とは言うものの、「洗濯に関係するすべての家事が好き」とは断言できないのではないだろうか?
たとえば「洗濯物を干すことは好き」と思っていても、だからと言って「洗濯物をたたむのが好き」かというと、そうではない人も多いと思う。
自慢にはならないが、私は諸君に負けず劣らず、洗濯は「したくない」と思っている人間だ。
この記事が、諸君の「したくない」家事を改めて知るきっかけになれたらと思う。
洗濯物を干すのがイヤ!

朝の天気予報で、今日が1日雨だと分かった時点で、今日の洗濯は憂鬱になってしまう。
あるいは朝から快晴だからと油断していたら、まさかの夕方からの雨で洗濯物がびしょ濡れになってしまい憂鬱に。
いくら「今日は干すぞ!」と、やる気がみなぎっていたとしても、そんなの天気はお構いなし。
私の、このやる気を返してくれと言いたくなる。
洗濯物を干すことは、天気という「運」の要素に影響を受けがちだ。
ここで仮に、天気が良好だったとする。

さあ、洗濯物を干そう!
洗濯機から出した洗濯物をカゴに入れ、
玄関に向かい、
庭に出て、
物干し竿に洗濯物を干して、
家の中に戻る。
または、洗濯物をカゴに入れ、
階段を上がり、
2階の部屋を抜け、
ベランダに出て、
物干し竿に洗濯物を干し、
部屋の中に戻る。
たかだか洗濯物を干すためだけに、ムダな移動を強要させすぎではないか?
もし靴下の片方を洗濯機の中に置き去りにでもしていたら、そのためだけに同じ道中を再び歩かされる羽目になる。
「ちょっとした運動になって、健康に良いじゃないか」と言いたいだろうか?
私の健康は、私自身の意思で維持したいのだ。
洗濯のために歩かされたくない。
また洗濯物を干す時は、しっかりシワを伸ばさないと、乾いた後にシワが残ってしまう。
風が強い日は、洗濯バサミで止めておかないと、風で飛んでいってしまう。

なんて面倒くさいんだ…
それから、いくら晴れてるからと言っても安心できない。
雨だけが敵ではないからだ。
シャツの内側にもぐり込んでくる虫たち。
取り込んだ服の中にクモやハチがいて、ビックリした経験がある。
またカメムシも厄介で、姿が見えた瞬間に絶望的になる。
まだ虫は目に見えるからマシなのだが、目に見えない敵も存在する。
黄砂や花粉や煙などだ。
これらの敵にやられると、せっかく良い気分だった気持ちが一気に憂鬱になるだけでなく、洗濯のやり直しを余儀なくされる。

だったら「部屋干し」すれば解決するんじゃないか?
確かに、今挙げたような問題点は「部屋干し」すれば解決するだろう。
実際に私タンジズムの家では、洗濯物を干すなら絶対に「部屋干し」である。
しかし「部屋干し」するにしても懸念点があるのだ。
干すスペースと湿度の問題である。
洗濯物を乾かすためには、ある程度広いスペースが必要だ。
乾いた衣類を保管するのと違い、濡れた衣類を乾かすためには、衣類同士の間隔を空ける必要が出る。
そもそも普段使っていない部屋が余っていれば良いのだが、そんなに都合よく部屋が余っているわけではないだろう。
そして濡れた服を干すことで、室内に湿気が溜まりやすくなり、臭いやカビの発生も心配しなければならない。

『自動洗濯物干し機』という夢の機械が開発されたら、すぐにでも購入したい。
だから私は、洗濯物を干すのがイヤだ。
洗濯物を取り込むのがイヤ!

干すのがイヤなら、取り込むのもイヤだ。
干すのがイヤな理由と同じような理由なのだが、干したら必ず取り込むことを強要されるのがイヤだ。
たとえば朝に洗濯物を干す時はやる気が十分あったとしても、夕方に洗濯物を取り込む時に、やる気を維持しているかは保証できない。
仕事でクタクタに疲れて、
「今日は絶対に家事をしたくない!」
という時だってあるだろう。
たとえそんな日だったとしても、朝に洗濯物を外に干した時点で、夕方にクタクタに疲れた状態で洗濯物を取り込まなくてはならない。
そんなの理不尽だ。
取り込むのが面倒だからとサボってしまうと、せっかく乾いた洗濯物が湿っぽくなったり、洗濯をやり直すことになってしまう。
だから私は、洗濯物を取り込むのがイヤだ。
洗濯物をたたむのがイヤ!

アパレルショップ店員のように、キレイに服がたためることには憧れる。

流れるように自然な手付きでたたむ姿は、実にカッコいいと思う。
ただ仮に、私がキレイにたためる技術を持っていたとしても、家事として「したくない」ことには変わりないだろう。
どうせ着る服だ。
手間を掛けて服をたたんだとしても、結局は着るのだ。
そんな思いがあるので、たたんでいる時間がもったいないと感じてしまう。
洗濯物を干す時はハンガーに掛けるだろう。
せっかくハンガーに掛かっている服を、着るわけでもないのに、いちいち取り外さなくてもいいだろうと思ってしまう。
また、一人暮らしの場合は自分の服だけで済むが、家族大勢で暮らしていたら家族全員分の洗濯物が出るわけだ。
家族の洗濯物は放置して、自分の分だけたたんでいると、
「シワが出来る!ついでにたたんで!」
という不満が漏れてきそうだ。
洗濯物を取り込んだ者がすぐに全員分をたため!と強要されているようでイヤだ。
だから私は、洗濯物をたたむのがイヤだ。
洗濯物をしまうのがイヤ!

諸君に質問だ。
『しまう』のは何のためなのか?

保管する時にかさばらないようにするため?

ホコリが付着しないため?
このような理由で、たたんだ服を当たり前のようにタンスなどにしまっていないだろうか?
私は、この行為がムダに感じてしまう。
なぜならば「しまう」ことで、着る服やタオルの質が良くなるわけではないからだ。
たとえば、
「洗う」ことで、服が「キレイ」になる。
「干す」ことで、タオルが「乾く」。
しかし、
「しまう」ことで、服が「いい匂い」になったり、
「しまう」ことで、タオルの「手触りが良く」なったり、
するわけではない。
ただ、ムダな行程が1つ増えるだけなのだ。
たとえば、服をしまうために箱を用意したとする。
服をたたんで、服を取り出すまでの行動は以下のようになる。
服をたたむ → 箱にしまう → 服を取り出す
「箱にしまう」行程が無くても、たたんだ服を取り出すことは可能である。
つまり「箱にしまう」行程は、本来であればムダな行動なのだ。
続いて、服をしまうためにタンスを用意したとする。
先ほどと同じように、服をたたんで、服を取り出すまでの行動は以下のようになる。
服をたたむ → タンスを開ける → タンスにしまう → タンスを開ける → 服を取り出す
タンスの開け閉めが加わったことで、先ほど箱に入れた場合よりも、ムダな工程が増えてしまった。
さらに、タンスがクローゼットの中に置かれていた場合は、クローゼットの開け閉めの工程までも加わることになる。
服を着るために、どうしてムダな工程を増やす必要があるのだろうか?
私タンジズムの家族でも、それぞれ衣類タンスを使っていた時期もあった。
しかし、そのせいで知らず知らずのうちに、余計なムダを増やしてしまっていた。
また、それぞれのタンスが別々の部屋にあったなら、たたんだ服をそれぞれの部屋へ運ぶためのムダな歩行までも増えてしまう。
だから私は、洗濯物をしまうのがイヤだ。
アイロンを掛けるのがイヤ!

街中でカッチリとシワのないシャツを着こなした方を目にすると、実にお洒落だなと思う。
それと共に、しっかりと服にアイロン掛けしていることに関心してしまう。
私はフォーマルやスーツを除き、基本的にアイロンを掛けない。
面倒だからである。
だからといって、シワくちゃでだらしない格好をしているかと言われたら、そうではないと自分では思っている。
服屋に行く際は、なるべくシワになりにくそうなものや、シワになってもあまり気にならないようなものを選んで購入するようにしている。

アイロンを掛けた方がお洒落なんだろうな、と思う場合はある。
しかし、やはり「面倒だ」と思う気持ちが勝ってしまう。
まず、その服がアイロンOKであるか確認する必要がある。
そして、アイロンの電源を入れ適温になるのを待たなければならない。
アイロンを掛けてキレイにシワを伸ばすためには、技術と時間が必要だ。
アイロンを掛け終わったら、服をハンガーに掛ける…。
服1枚のために、ここまでの工程と時間を要するのである。
また、カジュアルで着る場合は、シワがあってもお洒落なことがある。
逆に組合せ次第では、アイロンを掛けた服だからといって「絶対にお洒落!」とはいえない可能性もある。
お洒落とは奥深い。
いくら時間と労力を掛けてアイロンしたところで、お洒落かどうか分からないとしたら、それはムダだったと言わざるを得ない。
しかし「ムダ」かもしれないと思っていても、大事なデートの場合は別かもしれない。
時にはムダだと分かっていても、頑張りたい時だってある。
しかし、普段からずっと服のことばかり気にしていたら身がもたないだろう。
だから私は、洗濯物にアイロンを掛けるのがイヤ、だから、洗濯「したくない」のだ。
まとめ

洗濯にまつわる「したくない」理由について、私が思うイヤなことを5つ紹介した。
・洗濯物を干すのがイヤ
・取り込むのがイヤ
・たたむのがイヤ
・しまうのがイヤ
・アイロンを掛けるのがイヤ
諸君はいかがだろうか?
私と同意見だったり、もしかしたら全く逆の意見だったかもしれない。
お洒落な諸君の中には「アイロン掛け大好き」な人がいるかもしれない。
むしろ、私のように服にアイロンを掛けないのが理解できない、と思っているかもしれない。
いずれにしても自分の人生は、自分だけのものだ。
他人に左右され過ぎてはいけない。
「他人のために生きたい」と考える人がいれば、それはその人が「したい」と思っていること。
それはそれで、その人の「したい」人生と言えるだろう。
しかし、他の「したくない」と思っていることを無理してまで、する必要はないと思う。
「したくない」家事に時間を奪われない人生を送るためには、まず自分の「したくない」家事を知る必要がある。
そして「したくない」を知った後には、ステップ2でやり方を見直してみよう。
ステップ1が終わった諸君は、私の家の洗濯時短術 を参考にしてみてもいいだろう。
このまま「したくない」ことにエネルギーを使い続けるより、今変わることに少しだけエネルギーを使った方が、きっと、この先の人生のためになる。
「他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる」
諸君が「したくない」洗濯から解放されて、「したい」ことで人生を楽しんでもらうことを願って。
コメント